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【プルマガα】日本の〈政〉と〈官〉の関係と在り方(寄稿94回目)
Posted on 2017年11月14日
このところの、文科省天下りやなんちゃら学園等の思わぬ“出来事”が契機となって、国家公務員と政治家との関わり方に対して、或いは広く「政」と「官」との「関係」が国民の関心を集めて来ました。
安倍内閣は、「政」を軽んじた「官」の人事異動と天下りの振る舞いに対して、「政治主導」=「許認可権限を強化」する為に、平成26年に導入した内閣人事局による、各省庁の幹部人事の一元化(各省の幹部人事の決定権限をその大臣から、総理官邸に移したもの)を、最近になって元総理が批判されたという報道もあって「政治主導」について世間の関心が更に高まりつつあります。
実際は、平成になって20年以上にわたって続いている「政治主導」の下に行われてきたこの種の「官」改革が、期待されたほどの成果につながっていない一つの理由は、これらが主として政治の側によるイニシアチブとそれを支持するジャーナリズムの後押しで展開され、その過程で一方の当事者である「官」、即ち、公務員の意見があまり省みられなかったことに由来するのではないかと思われます。
その件に対して、元大蔵省「霞ヶ関の官」で最後の3年間は、官房長及び事務次官を務めた方の証言が的を突いています。
【「政治主導」の下に、「政」と「官」にかかわる多くの制度が改正され、或いは計画された。
その一つである「省庁再編」はまさにこの3年間に検討され、その内容が確定した。
ちなみに「省庁再編」とは、当時23存在した中央政府の省庁を現在の13省庁に再編するというものである。
併せて環境庁は「省」に昇格した。
同時に、「大臣政務官」の創設等「政」の部分が拡充された。
私が勤務した国土庁は、この「省庁再編」によって独立した存在ではなくなり、建設省、運輸省、北海道開発庁と共に国土交通省となり、現在に至っている。
私がここでこの「省庁再編」を特にとり上げるのは、私自身がその当事者の一人であったからです】。
平成13年1月から実施された「省庁再編」は異常な改革であった様です。
何よりも、何故その「省庁再編」が必要かについて実質的な理由が、これを主導した政治の側から示されてなかったのです。
この「改革」はその時点での政府の事務をそのままにして、単にその省庁の数を減らすということでありました。
通常はこういう場合には、その時点の政府の役割を再検討して、時と共に必要性が低下してきた事務を削減したりするものですが、それも試みられなかった。
それは世間には、証言によると「官」の側の抵抗でそれが出来ないという説明だったかもしれないと言います。
本当は、政治が、その為に必要な政治的エネルギーを使わなかったというべきと指摘します。
「官」に対して、それを検討する時間がない=面倒臭いからと説明されたと記憶しているとのことです。
実は、中央省庁の「再編」にはそれに伴う名称の表示の書き換え、オフィス移転等のコストがかかります。
これも無視出来ません。
中央の組織の名前が変わるということは、全国各地方にあるそれらの下部組織の名称も変わることとなるのでその費用だけでも馬鹿にならないのです。
その為に、「官」は、省庁再編を投げかけられた当時の各省庁幹部の大部分は、このような「改革」には消極的であったとのことです。
この改革を推進された総理が途中で交替されました。
そして新しい総理から、何故この「省庁再編」が望ましいのか説明をして欲しいとの問が発せられたということでした。
そこで、集約対象となる省庁の事務次官11人が総理官邸に集められました。
「何故一つの省庁になるのか、その理由とメリットをそれぞれ新しい省庁毎に一つのペーパーにまとめて総理に報告して欲しい」と言われたとのことでした。
これに対し、ある次官(自分のことかもしれません)が“思わず”「そんなことは、あなたの前任者に聞いて欲しいと言いたいです。われわれは好んで集約しようとしているのでは在りません」と口走ったとそうです。
これは、当時の「官」の雰囲気を良く表わしていると言えます。
然し、残念ながらこういう声は大きく発せられることもありませんでした。
その声が紹介されることはほとんどなかったのです。
世間はむしろ、「官」の役割を減らすと聞いただけで、それは望ましい「政」の処置と見做しでした。
これらの「改革」の総合的な評価をここで評することはしません。
然し、結果として行政の質が向上したのか、また国会等における政策の議論が深化したのだろうか。
その為に不可欠である正確な情報の提供が進んだのかで、その判断は正式に下されるべきと思います。
その第1は、当時のバブル後のあり方を本格的に、より深く検討すべき時期であったことです。
バブルが破裂し、わが国の大手の銀行や証券会社がそうとう倒産して、金融安定の為の施策(実際は単なる貸し渋りが起きました)が模索されたこの時期の大きな政策課題が、このような「省庁再編」であったとはとても思われません。
27年前のバブル後の日本のGDPは20年余も間で低空飛行して、世界トップレベルの1人当たりGDPは、今は世界第22位でシンガポールと香港にも抜かれています。
「政」としては、わが国の最も知的集団の最重要な一部である「官」を、この「バブル後」のテーマの為に、いかに「官」を働かせて、その知恵を出させるかが「政」の重要な課題だったろうと思います。
このことは、上述した日本が現在も悩まされている長期のデフレにも深い関連があるように思います。
野党は企業の内部留保が溜まる一方で、企業は労働分配率に人件費の配分を反映させていないと批判します。
27年前のバブル崩壊後どのような金融環境であったのかが企業のトラウマになっている最大の理由は、景況が良くなっても日本経済の先々の透明度がなく設備投資拡大化に慎重になって、自己資本蓄積に走り体質強化を図っているのです。
また銀行から“貸し渋りされたら堪りません”。
その第2は、この省庁再編を機に経済企画庁、国土庁、といった現業は持たないが(どうでも良い存在とは言いませんが)、マクロ経済全体の国土、水資源、土地といった国の重要な基本的な事項を所管する独立した官庁が消滅したことによる、負の影響が意外に大きかったことに在ります。
これらのいわゆる企画官庁の消滅の結果で、抽象的ですが国のあり方の基本に関する事項についての国民の関心が減少して、国の政策が、当面の景気や災害対策や地方の過疎化問題といった具体的な、国民の目につき易く、かつまったく目先の事項だけに、過度に為政が傾斜しつつあるように見えます。
併せて、これらの事項の専門家の育成が疎かになっていないかが検証されていません。
いずれにしても、天下りや岩盤規制などで只“官”を目の敵にするのではなく、全体的に「官」の意見にもう少し「政」は耳を傾けることが、より国益に沿う結果をもたらすことになると観えます。
あの第一次不動産バブル崩壊後は世の中に金が回らなくなりました。
企業の融資量でさえ工場や機械や設備の為の貸付額が未だに低空飛行中であり、日本の第二次産業界に大穴が空いた様な産業空洞化を生んでしまいました。
その第二次産業界が多忙で、消費電力が限界に成ってしまい、早く休眠している原発再稼働を成せと言うのが好ましい日本なのです。
すなわち日本のGDP成長を促す政策が継続して安定した収益構造を構築出来ていると言う証なのです。
それを新しい国会に望みます。
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