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外国で“実際に使える英語”教育とは

Posted on 2018年03月5日


なにもかも国際化に依り、義務教育で英語教育の重要性が益々高まっていますが、それに応えて小学生から英語が正式科目とされるなど様々な努力が行われています。

同時に、どのような英語能力が必要か、その力をつけるためにはどのような教育がよいのか、などが改めて議論されています。
それ自体は大変良いことと想います。

現時点で国民に英語が必要とされる理由は、どういう所に行きたいとか、何を食べたいとかについて、外国人と正しく意思の疎通をするなどの為だけでは在りません。

それは、現実社会で外国人も含めた取締役会を成すグローバル企業に於いても、外国人と議論して企業
の方針を決めたり、外国商取引で価格交渉をしたり、世界の学会の場で研究発表を日本人がしたりする為には必要だからです。

ノーベル文学賞の英国帰化人のカズオ・イシグロ氏の流暢な英語での受賞演説は新鮮に映りました。
あのような場でも、日本人受賞者は日本語演説が通例でした。

そうだとすれば、今から国民に求められる英語のレベルも単に先方と正しく意思疎通をする能力以上のものを、且つはるかに超えた学術的芸術的な英語表現も求められて来る蓋然性が在ります。

意見の違う相手に、論理的に分かり易く、英語で自分の意見を説明して、時として議論で先方の論拠にすぐさま異を唱えて、自らの考える方向に結論を導く自分の語学力と実力を持たないといけません。

良くTV討論番組では、なんに付け論議提議者が相手に、こちらに発言の機会を与えまいとしている時に、直ぐ相手の発言をさえぎって、自分の意見を主張し通すのも或る種の能力かも知れません。年末にもその様な番組があって、芸人の発言が騒動に成りました。

仮に、そういうことであれば現実社会に必要な英語とは、学校で教えられているような、例の日本語文章を正確な英語に翻訳する力や、先生から与えられた英文を正確に日本文に変えると言った学習能力を超えた個人の語学力に成るものである筈です。

この様な英語の能力を身につける為の有力な手段が、自ら生徒や学生は英語のディベート討論を行うことで在ります。

TVの漫才番組では、又、脚本でもないのに芸人は質問者に即座に切り返して笑いを取っています、あれも或る種のディベート能力です。

ディベートは、一部の若者学生
には良く知られているところですが、例えばリベラル派が衆院選敗北(自民党が4割獲得票で7割の議席を占めてしまった摩訶不思議な選挙制度で在るとする敗因)の最大の原因に挙げたのが、悪質な小選挙区制は廃止とすべきであると、TVで再々唱えていたテーマについて、それに賛成するか反対なのかの2チームに別れて、一定のルールに従い、英語で討論をするという一種の討論ゲームです。

賛成、反対どちらの立場に立つかは、その自らの信念と関係なく、試合の直前に「コイントス」等で立場が
決まります。即ち、ゲームが始まるまでは自分がどちらの側に立つのかさっぱりわからないのです。
まるで法廷での弁護士と検察官の論争みたいなものです。

ディベートにはいくつかの方式がありますが、(1)最初に賛否それぞれの主張をする立論の時間が在り、
(2)次いで、双方が入り乱れて議論をする時間が在り、(3)そして最後に、それまでの討論を踏まえて、
やはりわれわれの方が正しいと主張する総括の時間から成り立っているのが普通です。

又、1人が1回につき話しうる時間が限定されていること(例えば、1回につき3分以内とか)、更にそれぞれの側の発言の合計時間に限度が定められていること(例えば、チーム毎に20分ずつとか)、そして、最後の総括の時間に、(注)双方は新しい論点を決して持ち出してはならないこと(話をすり替えないこと)等についても共通しています。

最後の審判は、通常複数人の審判団が個々の論点の内容、主張の論理性、結果としての全体の説得力等を勘案して、どちらのチームが勝ったかを決めます。
その締めも、法定での裁判官の様です。

然しです、現状はTV政治討論番組や朝までなんとか番組でも、結局最後になっても論争テーマが未解決になっているのが日本の現実です。

だから、番組最期にどっちらが正当性が在り主張が優っていると判定する“ディベート式”政治討論番組が
日本にも在っても良さそうなものです。

ところで、10月に福岡市で日本英語交流連盟主催のディベートセミナーが開かれました。

英国から招聘したオックスフォード大学の学生など、英国の一流のディベーター4名による英国流の模範的ディベートが行われました。

彼ら英国学生は、同連盟が東京で行った20周年記念大学生・社会人合同英語ディベート大会に招かれて来日したのですが、足を伸ばして序に福岡に来てもらったそうです。

試合開始20分前に、「SNSは反社会的である」と言うテーマを貰ったもらった両チームは、それから自チームの議論を組み立て、概ねルールに従ったディベートを行いました。

立論に賛成(=「反社会的である」とする立場)のチームは、スマホが普及することにより人々が新聞を読まなくなり、若い人に深い知識が普及しないことになる、トランプ大統領に見られるようにツィッターにより不正
確な情報が拡散されてしまう、個人同士の密接な接触(=顔と顔の対面付き合い)がなくなる等、社会の為に良くないとしました。

反対(「SNSは好ましい」とする立場)のチームは、その普及によって遠隔地の人とのコミュニケーションが可能になる、多くのニュースが飛びかうことになり、誤った情報のウソもすぐバレることになる、オフィスに行
かなくとも仕事ができる等仕事の効率化が進むことになる、従ってSNSは好ましいと主張しました。

結局、このディベートは反対論=SNSは社会に好ましいとする主張の方が勝ちと判定されました。

以上、このディベートというのは、元々英国の議会討論を模した議論法です、英国議会は与野党議員が対面方式の議席に配置されています。

その議論優劣の判定は、それぞれの論点の優劣、主張の際の論理構成の良さ、更には、特に大事なことですがユーモアのセンス等も活用して、いかにして相手方を説得するか、更には聴衆(=観客)にどのように“受け”とられたか、などが勝利ポイントとなります。

要するに、どちらが論戦に勝利したのかということを決めるのです。

だから、今の子供たちが大人になり、国際的な論争になったら「現時点で必要とされる英語の能力は在るのか」が、今からの英語教育で一番必要とされると想います。
それが、小学校~中学校の9年間で英語でディベートが出来そうになったら良いのですが。

日本を取り巻く国際環境・近隣外交は益々厳しく、英語で先方を説得する能力はますます必要となるように想い
ます、その点は河野外相の国連で英語演説と安保理招集議長役の立ち振る舞いは国際的に見事でした。

そこで日本の英語教育は、学生のディベートの更なる普及などを通じて、子供たちも現実社会に必要な生の英語
力の向上に努めてもらいたいと願っています。
我々世代の“英語が話せない悲劇の英語教育世代”を再生産させないように祈念します。

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